責任回避のカラクリ-「自己責任」という言葉をめぐって
小森陽一さんに聞く(九条の会事務局長・東京大学教授)
貧困・格差の広がりと時を同じくして「自己責任」論という妖怪が日本社会に出現し、人々を呪縛しています。妖怪の正体は何か?小森陽一さん(東京大学教授)に聞きました。
2010年に大きな問題となった児童虐待は、家庭だけの責任を問うても解決しない、子どもたちへの社会的虐待だと考えるべきです。現在の日本における社会性の回復と関係性の転換が問われています。
人間本来の姿は
赤ん坊や子どもの泣き声を聞いたら、たとえ自分の子どもでなくても何とかしなければと思うのが、社会的生き物としての人間本来の姿です。
もし国や自治体が泣きつづけている子どもを救っていないのであれば、それは国や自治体が自分だけでは生きていけない者たちを切り捨て、見てみないふりをしているか、手をさしのべる努力が途中で遮断されていること、すなわち憲法が踏みにじられていることの表れなのです。
赤ん坊や小さな子どもが泣きやまないことに対して、大人は「あなたが悪いからだ」とは絶対に言えません。それは、人間の子どもは一人では生きていけないとても弱い存在として生まれてくることを、皆が知っているからです。
そのような子どもしか産めないのが人間なのです。生まれた時点から立ち上がって敵から身を守るすべを身につけている他の動物とは違います。だから人間は言葉によって社会性を獲得したのです。社会的にしか生存を保障されない存在としての人間を考えるとき、原理的に「自己責任論」は成立しません。子どもにおいて成立しないのであれば、どんなに大人になっても、一般的な「自己責任論」は通用しないと考えなければなりません。
イラク人質事件
「自己責任」という四字熟語は、「自己」と「責任」という、人間が国家の法の下で国民として生きる「近代」という特別な時代を背負った2つの言葉をつなげた熟語です。あたかも多くの人がわかったかのように平然と使っていますが、この言葉を使いたがる人は、その概念の中身を誰も明らかにしようとしません。