公益社団法人北海道勤労者医療協会
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「家族主義」への反論 分断される国民  湯浅 誠さん(2)
北海道民医連新聞 2012.07
 先日もあるケースをみました。アルコール依存の父をもつ娘の家族がいました。娘さんは泣きながら、お父さんに酒を飲まないよう説得するのですが全然聞かず、娘さんは精神的にまいってしまいました。そこに支援の手が入りました。父親と娘を一旦別に住まわせ、娘は仕事ができるようになった。お父さんも治療する意思を固めて、感謝されました。外部的な支援が入ることによって、その家族を守ったのです。支援が入らなかったら確実に壊れていました。娘は父さんを一生恨むかもしれない。そう考えると、守ったと言っていいと思います。
 「外部からの支えが入ることが家族を守ることに繋がる」という考えであれば、生活保護を含めた社会保障のもっている機能の意味を分かってもらえるのではないかと思います。

既得権益批判が高まる理由

 かつての日本社会は、男が定年になるまで企業に就職して家族を養い、定年後は年金で暮らすことが標準的なライフコースでした。しかし、そのコースに乗らない人が増えてきました。それは想定外なことでした。想定外というのは、「考えないことにする」ということです。ホームレスの存在は、「一部の変わった人」の問題として、社会問題ではなく「想定外」として片付けられてきました。問題自体が見てみぬふりをされてきました。
 社会を、企業と家族に支えられている人と、支えられていない人の2つに分けて考えます。支えられない人が世の中に増え、その人たちの間に「誰も構ってくれない」と、恨みつらみが溜まっていく。そこから、「既得権益批判」「世代間対立」が激化していきます。
 取りこぼされている人たちは、その原因を探します。すると身近なところに、「ろくに仕事もしないのに自分の3倍給料を貰っている人がいる。なんなんだ正社員というのは」と思ってしまう。そういう例を探せばいっぱいあります。
 生活保護を受けている人が209万人もいれば、怠けている人は実際にいます。1人もいないなんていうことはない。しかし、怠けている人が全体のことのように見えてくると、「あいつらのせいで自分たちは割を食っているんだ」という話しになる。
 また、朝から晩まで働いているサラリーマンはほとんど役所に行きません。だから、公共サービスが大事とは思えなくなる。保育や学校の公共サービスのフォローは基本的に妻に任せています。役所と接点がないので役所の仕事のイメージが湧かない。だから公共サービスにお金が行っても。「どうせ誰かのポケットに消える」「天下りに使われている」「怠けている人のところに行く」と思うのです。
 この間、公的サービスに支えられなければならない失業者が増えてきました。公共サービスにとってその人たちは想定外になるので、冷たい対応をされます。

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