亡くなった夫は、私の看護の仕事を深く理解してくれました。その夫が病床で「看護の本質は、生活のほう助ではなかったの?」、「緩和ケアって何もしないケアのこと?」と聞いてきました。妻の天職として心から期待していた看護と、実際に受けた看護とズレを感じたと思うのです。
看護師の労働条件は、昔も大変でした。1病棟に看護師が7人、準夜・深夜それぞれ1人配置の3交代で、本当に忙しかったのです。それでも辞めないで続けてきたのは、「石にかじりついてもこの仕事を高めなければならない」と思ったからです。その気概の源泉は、優れた看護実践以外にありませんでした。「良い看護をした」という体験を通して、はじめて大変さを乗り越えられるのです。
日常生活から生まれた看護
優れた看護は、たとえ1
回限りの実践であっても、そこから引き出される真理というのは年月を経て有用です。優れた実践は歴史からもたくさん学ぶことができます。11世紀、コンスタンティノープルの王が病気になったときに妻が看病した様子を、娘のアンナが記録していました。
"母は毎晩、王の傍らで夜を明かしました。呼吸が楽になるようにと、王を両腕で支え、敷布団の具合を整え、コップではなく盃で水を飲ませました。舌の奥まで炎症をおこしている父は、そうすればなんとか水を飲むことができました"
これはまさに今日に通じる嚥下障害患者さんの経口摂取の法則なのです。体位と1回に飲ませる量と角度が重要だということを教えています。看護が職業として始まる前からこのような事が伝えられてきました。
少年のころ急性中耳炎になった演出家の故・竹内敏晴さんは、母親に看護された経験を次のように記しています。
"身じろぎしても痛む耳。スッと襖があいて、枕元にひざをつき私のこめかみに手を当てて熱をはかった。汗で濡れたねまきを手早くはぎ取り、寝返りさせて汗を拭いてくれる母の手に任せている。痛くて苦しいままでの安らかさ"
全ての痛みや苦しさが取り除かれなくても、この安らかさが看護にとって重要ではないかと思います。
人々の暮らしの中から生まれた看護は、生命を維持する日常的・習慣的ケアで、毎日ありふれているものです。そのありふれたことを専門職としてやるというのは、とても高度なことなのです。
実践支える哲学とトレーニングを
毎年、多くの大学・専門学校から約5万人の新人看護師が生まれています。私たちは、看